自転車に乗るということ

環境問題へのキッカケ(シュトウの場合)

僕にとって、自転車に乗るということは特別なことです。環境問題に関心を持ち始めた直接的なきっかけが自転車での通学を始めたこと、だからです。


僕と妻が使っている自転車。僕のは奥の黒いやつ。最近買い換えました。

田舎は自動車だらけ

僕は宮崎という日本の中でも1、2を争う田舎県で大学に通いました。宮崎や、その他の田舎都市に住んでいる人は分かると思いますが、田舎では自動車の所有率、使用率がすごい高いです。僕も大学1年生のころからバイクに乗って、3年生のころから自動車に乗ってました。どこに行くにも自動車に乗って、バスや電車に乗るのも飲みに行くときだけでした。歩くことや自転車に乗ることは考えられませんでした。実家から大学に通う友達には、家に5台の自動車がある人までいました。その人は特別お金持ちでもなかったです。学部生の頃は部活に入っていて、体力自慢でした。脳みそまで筋肉でできてると言われてました。でも大学院に通うようになって運動をしなくなり、2年も経つと体の不調がでてきました。風邪を引きやすくなる、集中力が落ちる、疲れやすい、酒が弱くなる(これは体の不調かな)、などなど。

よっしゃ、俺も自転車だ!

その頃、彼女(現在の妻)が福岡で働いていたのですが(2年の遠距離恋愛時代のこと)、彼女が天神から百道浜まで自転車で通勤していました。約20分ちょっとの距離です。で、”よっしゃ、俺も” と、自転車に乗ってみようと思い立ったわけです。今思い返すと、これで人生がかわりました。確実に。その当時、大学から自動車で20分くらいのところに住んでいました。自転車では40分くらいです。時間的には1日40分のロスです。しかし、そこから得るものは大きかった。自転車についていろいろ自分で調べました。メンテナンスのことや、自転車にまつわる行政のこと、道路交通法のこと、海外の自転車政策のこと、自転車メッセンジャーのこと、世界で開催される自転車フェスティバルのこと。調べれば調べるほど、自転車について偏見を多く持っていることに気づきました。そして、その間も自転車通学を続けていたので、どんどん体の調子は良くなりました。

マイノリティの立場

自転車に乗ることで、マイノリティの立場になります。現在の日本の道路では自動車が絶対的なマジョリティですから(自動車に逆らったら大怪我をするか、殺されます)。自分が一時的にでもマイノリティになることで、別の立場のマイノリティの気持が分かるようになります。子ども、老人、障害者、貧困地域の人々、有色人種。彼らの気持が全て分かるとは思いませんが、自転車に乗りマイノリティになることで、今までと違う目線があるという事実を知ることができます。僕には甥っ子がいます。その子を僕が運転する自動車に乗せる機会がありました。で、狭い道路に歩行者がいるとき、その子は”どけどけ” と言いました。もちろん、僕は自動車を止めて、その子の尻を蹴っ飛ばしました。”どけどけ”という態度が間違っているからです。しかし、彼には悪気があったわけではないと思います。ただ、彼にとっては歩行者より自動車の方が偉いのです。歩行者はジャマなのです。彼はいつも学校まで歩いて登校します。そのとき自動車は”どけどけ” のような態度なのでしょう。彼が大人になって自動車に乗ったとき、どんな運転をするでしょうか。

自転車ってカッコイイ

僕にとって自動車は軟弱者の乗物で、自動車に乗って”どけどけ”というような運転をするやつは”調子に乗った”軟弱者です。最低ですね。そう思うようになって、自転車に乗っていることがカッコイイと思うようになりました。そして、自動車を運転する際も(月に1、2度は必要に迫られて乗ることがあります)とても安全運転をするようになりました。それがカッコイイ運転方法だと思うからです。もちろん、自動車は便利な道具です。子ども、老人、障害者にとって自動車は必要な道具です。大きく重い物を運ぶとき、リヤカーを引くわけにはいきません。ただ、必要もないのに自動車に乗らなくてもいいですよね。

強いものほど

自分が強者になったときほど、それを強く自覚し、弱者をいたわる気持を持ちたいと思います。昔から”実るほど−”っていいますし。自転車と自動車の関係を考えるとき、いつもこの言葉が思いうかびます。

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