ecolife

日々の生活を大切にすること

下のリンク先の記事を読んで、とてもビックリしました。何がって、

美容室の客から「少雨で花の水やりなどで水道料が一カ月三万円にもなって困る」という話を聞き

そりゃ、いくらなんでも高すぎるでしょう。そんなに水道代払うのならば、もうちょっと改善する気持ちを持ちましょう。光熱費が下がることは、環境負荷が少ないということです。環境負荷の少ないエコロジストは、光熱費が安いです。そう考えると、生活を見直し、何かしらの努力や工夫をすることを諦めてしまう人が多いから、全体の環境負荷が上がっていると言えないでしょうか?日々の生活を見直すこと。そして、日々の生活を大切にすること。それが、環境負荷の小さいエコロジストの道です。

見た目おしゃれにエコロジー 古ワイン樽で雨水利用@Nagano Nippo

今日のコンピュータ

OSの再インストールをしました。で、それだけなら簡単な事なのですが、CD-ROMドライブが壊れまして困りました。古いPCからCD-ROMドライブをひっぺがしてきて、付けようとしたら、今度は電源が足りません。ま、すったもんだありまして、やっと終わりました。何やってんだかって感じの日です。

食べ物が腐っているかどうか確かめること

「28日後」って映画を見る

ダニー・ボイルさん(トレインスポッティングの監督)が作った「28日後」という映画を見ました。秀逸です。見逃してたらぜひ見てみてください。お勧めです。この「28日後」という映画は、交通事故で昏睡状態になった主人公が28日後に目を覚まします。その時、街はウィルスに感染して壊滅状態になっています。で、ウィルスに感染したゾンビから逃げながら、サバイバルを繰り広げるという内容です。普通のゾンビ映画ではゾンビの動きはスローモーションですが、「28日後」のゾンビは速い、速い。全力疾走です。この点も秀逸。って、「エコロジストでいこう」は映画の紹介をするのが目的ではありません。

ピカピカの青りんご

この映画の中でとても気になるシーンがありました。映画の中では大多数の人がウィルスに感染し、28日以上街全体が放置されます。したがって、スーパーにある生鮮食品は腐ってます。しかし、その中でまだ腐っていない青りんごがあります。それを見て、登場人物が「保存料」という言葉を口にします。まわりのフルーツや野菜がすべて腐っている真ん中で、ピカピカの青りんごは異様な光景でした。昔から食べ物の保存というのは、人類にとってとても大きな課題でした。餓えないために。

「便利さ」や「商売」のための保存

しかし、現代では「便利さ」のためや「商売」のために食べ物を保存します。「便利さ」のために何年間も腐らない食べ物を作ります。「商売」のため(つまりお金のため)に地球の裏側から食べ物を運びます。本当にその保存は必要なのでしょうか。

ちゃんと腐るものを食べる

僕は腐ったものは食べませんが(当たり前だろ!)、近々腐るものを好んで食べます。1ヶ月も腐らない青りんごなんて絶対食べたくない。だって、本来青りんごは腐るものです。

どっかの誰かが決める賞味期限

また、あなたがある食べ物を食べようとした時に、それが口にできるかできないかをどうやって判断しますか。その判断がラベルに記載された賞味期限だとしたら、何だかおかしいと思いませんか。100年前の人たちにとって、その判断基準は自分の感覚でした。その食べ物を少し口にしてみてすっぱいからとか、匂ってみて異臭がするからとか、指で押してみて柔らかすぎるからとか、見た目がどす黒いからとかで食べるのをやめました。そうやって、自分の感覚を磨き生きていました。それに比べて現代人の無力さは情けない限りです。自分の感覚よりも、賞味期限という他人から決められた数字を頼りにするとは。

あなたが決める賞味期限

賞味期限の書かれていない青りんごをひとつ買ってください。そして、毎日それを匂ってみてください。指で押してみてください。色を確かめてみてください。いつまでがあなたの判断する賞味期限ですか。

農業の対価を再考すること

散歩@田んぼのあぜ道

先日、稲刈りの手伝いに行きました。そして、夕方、たくさんの人が田んぼのあぜ道を散歩している光景を見ました。


稲刈り後の田んぼには、カエルがたくさんいます。ヘビやバッタやカマキリなどもいます。田んぼが、生き物を支えていることを深く理解できます。子供をつれて、田んぼに行ってみませんか?ヘビが出てきたとき、落ち着いて対処できれば、子供の見る目が違ってきますよ。

散歩は、毎日決まった道を歩くのも良いですし、日によって気分で道を選ぶのも良いです。その点、田んぼや畑の間には、毛細血管のようにあぜ道が走っていて最適です。そして、散歩する道には自動車があんまり通ってほしくないですよね。すぐ脇を排気ガスをモクモクの吐き出す自動車が通っていては、気分の良い散歩にはなりません。自動車がすごいスピードで脇を通ると、身の危険を感じことまであります。その点でも、田んぼのあぜ道は最適です。また、人の感性にもよりますが、黄金色に輝く稲穂を横目で見ながらの散歩は、とても気分が良いです。さて、これだけ散歩に適した道を、すべて公園として作ろうとしたら、どれだけのお金がかかるでしょうか。土地代もすごいでしょうし、それだけの景観を整えるためにもお金がかかるでしょう。話は変わります。最近、都市水害が多く起こっています。「農から環境を考える―21世紀の地球のために」原剛(著)には、田んぼが大雨の時、受け皿になってダムの効果を果たし、水害を防いでいると書かれていました。人口の水路や地下のダムで、田んぼが果たす水害対策と同じだけの効果を果たすためには、いくらかかるのでしょうか。農業とは、人が食べる農作物を作り出す仕事です。そして、その副産物として、地域に最高の散歩道を作り出します。さらに、都市の水害対策もかねています。

農業に支払われる対価

しかし、農業に支払われる対価は、農作物の値段だけです。米5kg、2000円。たまねぎ4個、150円。日本の農作物は高いといわれます。あなたはどう思いますか。身のまわりに農業があることで受ける恩恵に対して、対価をつけて下さい。いくらでしょうか。日本で作られる高価な農作物の値段から、その対価を差し引いてください。それでも、中国産やアメリカ産の農作物よりも高いですか。すべての人は、等しく地域にある公園の恩恵を受ける権利があります。だから、そこに必要となる費用は、すべての人が税金という形で、等しく負担しています。何も、おかしなことはありません。しかし、毛細血管のように走るあぜ道を作る費用は、誰が負担しているのでしょうか。農家の人々です。非農家は、あんなに散歩に適した場所を等しく使わせていただいて、その費用はまったく払いません。

いつまでもあると思うな、日本の農業

「いつまでもあると思うな何とやら」というのは定番の句ですが、農業に対する対価を、僕たちが無視し続ければ、日本から農業が無くなってしまうのは、遠い未来ではありません。そして、無くなった時に後悔しても、農業を復活させることはできないのです。一度なくなってしまった電車の線路が、二度と作られることがないように。農家はボランティアで農業をしているわけではないのです。正当な対価を支払わなければ、生活を支える仕事として、農業が成り立たなくなります。僕たちはその恩恵やサービスを受けながら、払っていない対価がたくさんあります。林業を営む人に対して、森が作ってくれる酸素の代金を払っていません。漁業を営む人に対して、海を豊かに保ってくれていることの代金を払っていません。また、農林水産業の教育効果に対する代金も払っていません。フェアトレードというと、発展途上国の人々の労働に対して、正当な対価を支払うことを思い浮かべます。しかし、僕たちは日本の農業に対しても、フェアな対価を支払わなければいけないのはないでしょうか。

名案(?)農業テーマパーク構想

近い将来、日本の中から農業がまったく無くなると、農業テーマパークが作られるでしょう。そのテーマパークの中には田んぼや畑があります。係員の農民もいます。入場者は、1日5000円のフリーパス券を買って、田植えをしたり、稲刈りをしたり、芋ほりをしたり、あぜ道を散歩したりします。お土産には、取れたて無農薬野菜を買ったり、おたまじゃくしのぬいぐるみを買ったり、案山子がプリントされたTシャツを買ったりします。僕は農業テーマパークを冗談のつもりで書いていました。しかし、よく考えたら、冗談ではないですね。「農業体験ツアー」や「農村での自然体験プラン」などの名前で売り出される旅行パックは、農業テーマパークと同じ発想です。これが本当に豊かな社会の形なのでしょうか。

エコのジレンマを越えること

囚人のジレンマ(お、小難しいな!)

いきなりですが、「囚人のジレンマ」という問題を知っていますか。ゲームの理論という数学理論の古典的な問題です。簡単に問題を説明します。ある犯罪を共同で犯した疑いで2人が警察に逮捕され、それぞれ別の独房に入れられました。つまり、それ以後、2人で相談することができません。そして、警察に尋問を受け、自白するか、自白しないかの選択に迫られます。

起こりえる状況は3パターン

起こりえる状況は3パターンあります。

?2人がともに自白しなければ、別の軽い刑で2人とも1年の刑に服する。
?1人が自白し、他方が自白しなければ、自白した方は釈放され、自白しない方は20年の刑に服する。
?2人がともに自白すれば、2人とも5年の刑に服する。

下に、分かりやすく図にしました。

+−−−−−+−−−−−−+−−−−−−+
|     |自白する  |自白しない |
+−−−−−+−−−−−−+−−−−−−+
|自白する |5年、5年 |釈放、20年|
+−−−−−+−−−−−−+−−−−−−+
|自白しない|20年、釈放|1年、1年 |
+−−−−−+−−−−−−+−−−−−−+

さて、囚人はどうする?

さて、囚人は自白するべきでしょうか。自白しないべきでしょうか。2人にとって最良の方法は相手を信じ、自白しないことです。そうすれば、2人ともに1年で自由になることができます。しかし、パートナーがそう考えて、自白しないと確信がもてれば、自分だけ自白して直ぐに自由になることができます。また、しかし、そう考えて自分は自白し、パートナーも自白してしまえば2人ともに5年間の刑です。そうなると、2人ともに黙秘すれば良かったと後悔するでしょう。さて、囚人は自白するべきでしょうか。自白しないべきでしょうか。これが、囚人のジレンマと呼ばれる有名な問題です。この問題には解決策がありません。相手が協力的な行動をとるか、裏切り的な行動をとるかが分からないですからね。

環境問題と囚人のジレンマって、似てる

って、とても長い前振りだったのですが、環境問題も簡単化して考えると、この囚人のジレンマと同じ問題です。今、僕たちそれぞれにはエコな生活と、非エコな生活を選択することができます。さて、その選択の先にはどんな状況が待っているのでしょうか。囚人のジレンマと同じく、起こりえる状況は3パターンあります。

?多くの人がエコな生活を選択すれば、僕がこのサイトで紹介しているような簡単なエコ生活だけで環境問題が解決に向かう。
?半分の人が非エコな生活を選択し、半分の人がエコな生活を選択すれば、非エコロジストは今までどおり、悠々快適な大量消費生活を送り、エコロジストはディープエコロジーといわれる超厳しいエコ生活を送る。
?多くの人が非エコな生活を選択すれば、地球は崩壊する。

囚人のジレンマと同じく、環境問題に対する僕たちの選択にも最良な方法はありません。自分以外の人がどんな選択をするかが分からないからです。

通勤問題を例に

ひとつ分かりやすい例を考えてください。通勤問題です。通勤するには2つの選択肢があります。「自動車通勤」か「公共機関・自転車通勤」です。「自動車通勤」は楽です。「公共機関・自転車通勤」は少々の苦労があります。しかし、楽だからといって全員が自動車通勤を選ぶと、朝よく見かける交通渋滞が起こり、自動車通勤も苦痛なものになります。だからと言って、自分だけ「公共機関・自転車通勤」を選び、自動車を降りなかった奴らだけが交通渋滞の無い道を自動車通勤できるというのは腹立たしい、とも感じます。ジレンマですね。どうしますか。

僕は、エコに生活します

僕はそういうジレンマが環境問題の中にあるということを認識しています。そして「エコロジストでいこう」と発言し、エコな生活を選択しています。僕の選択はヘンでしょうか。損をしているのでしょうか。

「囚人のジレンマ」の仮定

そうそう、書き忘れていました。囚人のジレンマには仮定があります。容疑者には「名誉」という考え方が無く、唯一の関心事が私利私欲である、というものです。

まず、エコしてみること

量より質の時代

現代は、量より質の時代です。多くの人が頭の中ではそう思っているでしょう。そして、モノをたくさん持っていたり、値段の高いモノを手に入れることと、幸せになることが必ずしも一致しないということも多くの人は頭の中では分かっているでしょう。

量より質の時代って、本当に感じていますか

でも、現実問題、本当にそう感じていますか。燃費が悪くて二酸化炭素をたくさん出すと分かっていても、大きくて高級な自動車が、良いなぁと感じませんか。同じニンニクがスーパーの棚に並んでいるとき、どんな農薬を使っているか分からないと感じつつも、安いという理由で外国から輸入したニンニクを選びませんか。ちなみに、中国産のニンニクってすごく安いですよね。そしてどの季節にも同じ値段です。そういうのって、ヘンだと思います。僕たちは、ある考えや気持ちや信念というものを持って行動します。僕は、エコロジストでありたいという気持ち(環境問題は大切な問題であるという強い認識)を持っています。そして、その心をベースに持ってエコライフをおくっています。でも、世の中には「環境問題なんてまったく関係ない」と思って生活している人もたくさんいます。環境問題は大切だとちょっと感じているけど、自分が行動するほどでもない、と思っている人まで合わせたら、99パーセントでしょう。

まず、エコしてみること

僕はそういう人に「まず、エコしてみること」を勧めるときがあります。その人の善良なる心に訴えて、エコしてと勧めるのではなく、まず、とりあえず、何でも良いからエコしてみてと勧めるのです。ゴミが減るからとか、資源の節約になるからとか、ぜんぜん気にしなくて良いから、エコバッグを使ってみてと勧めます。そして、エコバッグを何度か使ってみて自分がどう感じるかを試してもらいます。交通渋滞が無くなるからとか、自動車が排出する二酸化炭素が減るとか、ぜんぜん気にしなくて良いから、自転車に乗ってみてと勧めます。そして、自転車の上から何が見えるかを試してもらいます。ゴミの総量の??パーセントがペットボトルゴミですとか、ぜんぜん気にしなくて良いから、水筒を持ち歩いてみてと勧めます。そして、自分が朝入れたお茶はどんな味か試してもらいます。

もしかしたら、エコってイイかも!

もしかしたら、案外、今までより快適かもしれません。「エコロジストでいこう」なんて、題にしていろいろ文章書いていますが、エコロジストであることが僕にとっていい気分でなかったら、こんなに時間かけてみんなに勧めたりしませんよ。エコするということは、本質的に何か気分の良いものだと思うのです。だから「まず、エコ」してみて、何を感じるか試してみませんか。この文章を読んでいる方々は、もう既にエコロジストです。少なくとも、環境問題に関心を持ち、何らかの行動を行っている(もしくは行いたいと思っている)方々です。だから、ここに書かれたやり方は、あんまり意味がないかもしれません。だって、既にエコでありたいという考えや気持ちを持っているからです。後は、それに従って行動してください。

エコを拡げる

ここで書いたやり方が本当に有効なのは、エコでありたいという考えや気持ちを持っていない人々です。もし、自分の大切な友人に環境問題に関心を持ってもらいたいと感じるときは、こんなやり方もあるかも、と思い出してもらえばうれしいです。

指輪をリメイクすること

私事で恐縮ですが

私事で恐縮ですが(ここのホームページは、私事ばかりですけどね)、2003年に結婚しました。


リメイクした結婚指輪です。

結婚指輪

それで、結婚指輪を作りました。一生に一度のことですし、生活の中でとても大切なものの象徴ですので、思い出深い、すばらしい指輪を作りたいと思いました。すばらしいと言っても高価なだけの指輪ではなくて、僕たち夫婦にとって価値がある指輪が欲しかったのです。

両親の指輪をリメイク

それで、両親の指輪を溶かして、リメイクすることにしました。僕の母親がつけていた結婚指輪と、妻の母親の婚約指輪(台座の部分)を譲り受けました。それを溶かして、僕たち夫婦の結婚指輪に混ぜ合わせました。左がその写真です。なかなかです(自画自賛。申し訳ない)。紆余曲折あったでしょうが、何だかんだ言って、僕と妻をここまで育ててくれた2組の夫婦が、僕たち夫婦の理想です。その2組の夫婦の決意の証である指輪を、僕たち夫婦が受け継ぎました。僕たちの理想に近づくために。

鰻屋のたれみたいに

そして、まだ産まれてもない(存在すらない)のに気の早い話ですけど、20年とか30年後に、僕たちの子供が一生を共にしたいという人を連れてくるでしょう。その時に、僕らの結婚指輪をリメイクして使ってくれたらうれしいなぁと思います。そうやって、鰻屋のたれみたいに何代にも受け継がれる気持ちってカッコイイなぁと思います。

エコロジーであるという以上の価値

指輪に限らず、リメイクやリサイクルという行為は資源の節約につながります。エコロジーです。しかし、ただエコロジーであるという以上の価値を僕たちに見せてくれます。

エコロジーの本質

現代は、お金を払えばいろいろなものを買うことができる時代です。でも、買うことができない大切なものが存在します。リメイクという行為は、大切なものを手に入れるひとつの方法なのかもしれませんね。そして、そういうお金では買うことができない気持ちを大切にするということが、エコロジーの本質であるような気がするのです。

フェアトレードするということ

環境問題と貧困

世界的な視野で環境問題を考えるとき、貧困という問題は避けて通ることができません。貧困に悩む多くの人々は今も薪を第一のエネルギー源にしています。その人たちに向かって「木を切り倒してはいけません」と言うことができますか。来年には目の前の森がなくなると分かっていても、その木を切らなければ生きていけない人々に対して、何を言うことができるでしょう。人口増加が爆発的に進む国はすべて貧困に悩む国です。貧困者が子供をたくさん作るのは、子供を労働力として期待しているからです。子供を働かせることで収入を得て、そのお金で暮らしている人たちに向かって「子供を学校に行かせましょう」、「子供をそんなにたくさん産まないでください」と言うことができますか。しかし、これ以上の人口増加が続くと、環境問題を解決することはさらに難しくなっていきます。

1日に1ドルで生活できますか?

世界には貧困に苦しむ国がたくさんあります。今の日本に住む僕らには想像することすらが難しいような貧困です。世界には1日に1ドル未満で生活する人々が13億人、1日に2ドル未満で生活する人々が30億人います。さて、あなたは1日に1ドルで生活できますか。家賃も払えませんね。「Global Rich List」で計算してみるとさらに詳しく計算できます。世の中の金持ちを紹介する番組を見ると「上を見ればキリが無い」と言ってます。しかし、多くの日本人にとって最上位はすぐに見えます。最下位はすごく遠いですけど。僕ら日本人ってすごい金持ちなのです。

貧困者はどんどん増えています

今この地球上には何十億人の貧困者がいます。これは現実です。そして、その数はどんどん増えています。なぜ、僕たち持つ者たちは、持たざる者たちにその富を分けてあげることができないのでしょうか。「そんなに独り占めしなくてもいいじゃん」と思います。客観的には。さあ、僕たちの富を分け与えましょう。偽善的に聞こえるかもしれませんが、僕たちはいくらなんでも独り占めしすぎです。ちょっとぐらいあげてもそんなに困ることはないですよ。

どうやって、富を分配すべきでしょうか

ここで問題があります。どうやって、分け与えれば良いのでしょうか。たとえば、10万円をある貧困者にあげるとします。そのお金は一時的に貧困者の生活を潤します。でも、1年たったら元に戻ったというのでは、問題はいつまでたっても解決しません。

フェアトレードという方法

僕は素晴らしい方法を知っています。「フェアトレード」という方法です。フェアトレードとは、立場の弱い人々が正当な対価を受け取る、対等なパートナーシップによる貿易です。その貿易を通じて、経済的に阻害されてしまった貧困者たちの自立を共に目指します。つまり、働いた分ちゃんとお金を払うというのがベースにある考え方です。当たり前ですね。でも、今まではそれが当たり前ではありませんでした(今でも当たり前ではありません)。フェアトレードに関して詳しく知るためには、検索エンジンでフェアトレードと入力してみてください。いろいろなサイトがあります。エコロジストでいこうでは、導入部分だけ書きます。

フェアトレードする!

さて、次は行動です。どう行動すればいいのでしょうか。多くの人が貧困に悩む国に行って、直接正当な価格で物を買うことはできません。もちろん。まわりを見渡してみても、フェアトレードされた商品ってそんなにありませんね。でも、できればフェアトレードは多くの人に利用してほしいので、身近にある手段を紹介したいと思います。

まずはスターバックス

まずはスターバックスです。スターバックスを利用している方は多いでしょう。そのメニューの中で、フェアトレードと書かれたコーヒーがあります。または、フェアトレードと書かれた豆も売っています。これを楽しむだけで良いのです。どうですか。これならいけるでしょう。


オーガニックコットン100パーセントのベビー服。友人に赤ちゃんが生まれるのでそのプレゼント。ピープルツリー製。ピープルツリーは、フェアトレードを行っている会社です。

ピープルツリーって、方法も

次は通販です。これも、多くの人が利用できますよね。僕はピープルツリーというお店の注文販売を利用しています。食べ物だけでなく、洋服やアクセサリ、バック、その他雑貨もいろいろあります。面白いですから、カタログだけでも見てみてください。勉強できることもたくさんあると思いますよ。

消費の質

フェアトレードの本質は、消費の質を変えるということだと思います。消費することによって自分のお金がどこに流れて行き、誰がそれを受け取るのかを考えてください。汗を流してちゃんと働いた人がそれに対する正当な対価を受け取ってほしいと思いませんか。

フリーマーケットを安易に使わないこと

フリーマーケット、ネット・オークション

フリーマーケットやネット・オークションは、ある人が使わなくなったものを違う人が有効に使うことができるようにするためのシステムです。必要ない人と必要な人が効率的に結びつくシステムと言えます。エコロジー的観点からおおいに利用したいシステムだと思います。フリーマーケットの雰囲気って、活気があって面白いですしね。みなさんも1度はフリーマーケットやネット・オークションを利用したことがあるのではないでしょうか。僕はネット・オークションを利用したことはないのですが、ヤフー・オークションなどはかなり流行っていますね。

フリーマーケットに行きました

先日、フリーマーケットに両親と妻と4人で行きました。大盛況でした。僕たちは開場前に行ったのですが、列ができていてすぐには入れないくらいの賑わいです。すごい。1人200円の入場料を取られたのはビックリしました。最近は入場料が必要なのですね。確かにフリーマーケットを開催するためには会場代も必要ですし、ゴミが出ればそのゴミを片付けるために人件費も必要です。会場を回りました。会場は大分にあるビッグアイというドーム型の陸上競技場です。2002年にはワールドカップサッカー大会の会場になったので有名ですね。広かった。正確に数えていませんが、100以上のお店が並んでいたのではないでしょうか。すごいですね。

フリーマーケットは安い

フリーマーケットは売っているものが安いです。それで、買っても使わないだろうと思うものまで買わせる力があります。それを本当に買うか買わないかは、消費者しだいですけど。

買い物のための買い物?

ひとまわりして思ったことは、この日にここで売れたものが、半年後には別のフリーマーケットやネット・オークションに出るのではないだろうかということでした。そういうのって、フリーマーケットの初期目的であった「物の有効利用のためのシステム」ということから遠く離れてしまっている気がします。結局、趣味の買い物、ストレス解消のための買い物、買い物のための買い物。商品が中古のものであり、販売者が素人であるという違いはありますが。

消費の拡大

そして、僕が1番気になったことは、フリーマーケットやネット・オークションが存在することで消費が拡大される恐れがあるということです。たとえば、デパートで皿のセットを買うか買わないかを悩んでいるとします。家にはいっぱい使える皿があります。そのとき、今使っている皿はフリーマーケットで売ればいいから、新しい皿を買おうと決めたとしたら、フリーマーケットというシステムが新しい消費を作ったと考えることはできないでしょうか。以前、ブランド品を買って飽きたらすぐにネット・オークションで売り払っている女性がテレビの番組で紹介されていました。その女性は、ネット・オークションで得たお金で次のブランド品を買うと言っていました。この場合、ネット・オークションは無駄な消費を拡大させたと言えないでしょうか。

無駄買い物を支えるフリーマーケット

フリーマーケットやネット・オークションは「物の有効利用のためのシステム」です。しかし、一部の人には「無駄な買い物を後押しするためのシステム」になっているとは言えないでしょうか。大量消費を支える新たなシステムとして機能しているのだとしたら、フリーマーケットやネット・オークションが無い方が無駄な消費を抑制できるのではないでしょうか。

エコロジーとフリーマーケットは、必ずしも同じではない

僕は物の有効利用のためにフリーマーケットやネット・オークションが必要だと思います。しかし、それらのシステムを安易に利用することは、ぜんぜんエコロジーではないのです。フリーマーケットに久しぶりに行ってみて思ったことです。

カーテンを開けること

太陽エネルギーは無料

太陽のエネルギーは僕たちがずっと手に入れることができるエネルギー源です。昼間は、雲りや雨の日以外はずっとどこでも日が差していて、だれでも分け隔てなく無料で手に入れることができます。ですから、太陽光発電、太陽熱利用など、研究も実用化も進んでいます。この流れはいいことですね。関係各位のみなさん、もっともっとがんばってください。と、褒めちぎって、宣伝するだけではあんまり「エコロジストでいこう」的には貢献が少ないので、次へ進みます。

積極的なるアクティブソーラー

太陽エネルギーの利用法には大きく分けて2種類あります。科学技術的に関心を集めているのは「アクティブソーラー」と言われている方です。名前はどうでもいいのですけど、つまり「なんらかの機械を利用して、積極的に太陽エネルギーを取り入れること」です。お金がかかる方です。「よし、今日からエコロジーだ」と言っても、屋根につけるデカイ太陽光発電パネルをいきなり買うことができるのは一部のお金持ちの方だけです(僕なんて取り付ける屋根すらないですし)。僕みたいな貧乏エコロジストには「バイオレッタ ソーラーギア」が精一杯です。これも面白いのですけどね。

受動的なるパッシブソーラー

でも、もう一方の「パッシブソーラー」に関しては、すぐにできることもあります。(再度)名前はどうでもいいのですけど、「機械力を使わない、受動的な太陽エネルギー利用のこと」です。こちらも本格的には窓を大きくしたり、効果的な蓄熱材を用いたり、設備にお金がかかります。

簡単、お手軽なパッシブソーラー実践

僕がここに提案する「パッシブソーラー」は、カーテンを開けませんかと言うことです。簡単、お手軽です。僕の会社はブラインドが常に閉まっています。そして、朝から晩まで天井の電灯をつけています(ちなみにエアコンもつきっぱなし)。確かに、コンピュータのディスプレイは直射日光が当たると見難くなります。しかし、そこは配置を変えるなどの工夫をすれば太陽の光を利用できると思います。できる範囲で良いですし。

エネルギーに関する効率の話

エネルギー問題を考えるとき、効率というものが強く求められます。例えば、石油を1リットル燃やしても、その熱量をすべて電気にすることはできません。熱効率(発電所で発生させる熱量のうち、電気に変えられる熱量の割合)は、火力発電で約40%、原子力発電では約35%です。そして、それを運ぶ時にどんどんロスしていきます。太陽光発電だともっともっと低いです。つまり、太陽の光を使って発電し、その電気を使って電球を光らせるより、太陽の光をそのまま浴びたほうが何倍も効率が良いということです。だって、もともと光なのですから。

そして、カーテンを開けましょう

ま、何よりも外が見えないのは気分が凹みます。雨が降りだしても、ぜんぜん分からないですし。僕たちの世界は季節や天気によって日々変わっていくのです。カーテンを閉めることで、そのことを忘れてしまうことが一番悲しいですね。カーテンを開けましょう。外の景色以外にも、いろいろなものが見えてくるはずです。

自転車に乗るということ

環境問題へのキッカケ(シュトウの場合)

僕にとって、自転車に乗るということは特別なことです。環境問題に関心を持ち始めた直接的なきっかけが自転車での通学を始めたこと、だからです。


僕と妻が使っている自転車。僕のは奥の黒いやつ。最近買い換えました。

田舎は自動車だらけ

僕は宮崎という日本の中でも1、2を争う田舎県で大学に通いました。宮崎や、その他の田舎都市に住んでいる人は分かると思いますが、田舎では自動車の所有率、使用率がすごい高いです。僕も大学1年生のころからバイクに乗って、3年生のころから自動車に乗ってました。どこに行くにも自動車に乗って、バスや電車に乗るのも飲みに行くときだけでした。歩くことや自転車に乗ることは考えられませんでした。実家から大学に通う友達には、家に5台の自動車がある人までいました。その人は特別お金持ちでもなかったです。学部生の頃は部活に入っていて、体力自慢でした。脳みそまで筋肉でできてると言われてました。でも大学院に通うようになって運動をしなくなり、2年も経つと体の不調がでてきました。風邪を引きやすくなる、集中力が落ちる、疲れやすい、酒が弱くなる(これは体の不調かな)、などなど。

よっしゃ、俺も自転車だ!

その頃、彼女(現在の妻)が福岡で働いていたのですが(2年の遠距離恋愛時代のこと)、彼女が天神から百道浜まで自転車で通勤していました。約20分ちょっとの距離です。で、”よっしゃ、俺も” と、自転車に乗ってみようと思い立ったわけです。今思い返すと、これで人生がかわりました。確実に。その当時、大学から自動車で20分くらいのところに住んでいました。自転車では40分くらいです。時間的には1日40分のロスです。しかし、そこから得るものは大きかった。自転車についていろいろ自分で調べました。メンテナンスのことや、自転車にまつわる行政のこと、道路交通法のこと、海外の自転車政策のこと、自転車メッセンジャーのこと、世界で開催される自転車フェスティバルのこと。調べれば調べるほど、自転車について偏見を多く持っていることに気づきました。そして、その間も自転車通学を続けていたので、どんどん体の調子は良くなりました。

マイノリティの立場

自転車に乗ることで、マイノリティの立場になります。現在の日本の道路では自動車が絶対的なマジョリティですから(自動車に逆らったら大怪我をするか、殺されます)。自分が一時的にでもマイノリティになることで、別の立場のマイノリティの気持が分かるようになります。子ども、老人、障害者、貧困地域の人々、有色人種。彼らの気持が全て分かるとは思いませんが、自転車に乗りマイノリティになることで、今までと違う目線があるという事実を知ることができます。僕には甥っ子がいます。その子を僕が運転する自動車に乗せる機会がありました。で、狭い道路に歩行者がいるとき、その子は”どけどけ” と言いました。もちろん、僕は自動車を止めて、その子の尻を蹴っ飛ばしました。”どけどけ”という態度が間違っているからです。しかし、彼には悪気があったわけではないと思います。ただ、彼にとっては歩行者より自動車の方が偉いのです。歩行者はジャマなのです。彼はいつも学校まで歩いて登校します。そのとき自動車は”どけどけ” のような態度なのでしょう。彼が大人になって自動車に乗ったとき、どんな運転をするでしょうか。

自転車ってカッコイイ

僕にとって自動車は軟弱者の乗物で、自動車に乗って”どけどけ”というような運転をするやつは”調子に乗った”軟弱者です。最低ですね。そう思うようになって、自転車に乗っていることがカッコイイと思うようになりました。そして、自動車を運転する際も(月に1、2度は必要に迫られて乗ることがあります)とても安全運転をするようになりました。それがカッコイイ運転方法だと思うからです。もちろん、自動車は便利な道具です。子ども、老人、障害者にとって自動車は必要な道具です。大きく重い物を運ぶとき、リヤカーを引くわけにはいきません。ただ、必要もないのに自動車に乗らなくてもいいですよね。

強いものほど

自分が強者になったときほど、それを強く自覚し、弱者をいたわる気持を持ちたいと思います。昔から”実るほど−”っていいますし。自転車と自動車の関係を考えるとき、いつもこの言葉が思いうかびます。