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農業の対価を再考すること

散歩@田んぼのあぜ道

先日、稲刈りの手伝いに行きました。そして、夕方、たくさんの人が田んぼのあぜ道を散歩している光景を見ました。


稲刈り後の田んぼには、カエルがたくさんいます。ヘビやバッタやカマキリなどもいます。田んぼが、生き物を支えていることを深く理解できます。子供をつれて、田んぼに行ってみませんか?ヘビが出てきたとき、落ち着いて対処できれば、子供の見る目が違ってきますよ。

散歩は、毎日決まった道を歩くのも良いですし、日によって気分で道を選ぶのも良いです。その点、田んぼや畑の間には、毛細血管のようにあぜ道が走っていて最適です。そして、散歩する道には自動車があんまり通ってほしくないですよね。すぐ脇を排気ガスをモクモクの吐き出す自動車が通っていては、気分の良い散歩にはなりません。自動車がすごいスピードで脇を通ると、身の危険を感じことまであります。その点でも、田んぼのあぜ道は最適です。また、人の感性にもよりますが、黄金色に輝く稲穂を横目で見ながらの散歩は、とても気分が良いです。さて、これだけ散歩に適した道を、すべて公園として作ろうとしたら、どれだけのお金がかかるでしょうか。土地代もすごいでしょうし、それだけの景観を整えるためにもお金がかかるでしょう。話は変わります。最近、都市水害が多く起こっています。「農から環境を考える―21世紀の地球のために」原剛(著)には、田んぼが大雨の時、受け皿になってダムの効果を果たし、水害を防いでいると書かれていました。人口の水路や地下のダムで、田んぼが果たす水害対策と同じだけの効果を果たすためには、いくらかかるのでしょうか。農業とは、人が食べる農作物を作り出す仕事です。そして、その副産物として、地域に最高の散歩道を作り出します。さらに、都市の水害対策もかねています。

農業に支払われる対価

しかし、農業に支払われる対価は、農作物の値段だけです。米5kg、2000円。たまねぎ4個、150円。日本の農作物は高いといわれます。あなたはどう思いますか。身のまわりに農業があることで受ける恩恵に対して、対価をつけて下さい。いくらでしょうか。日本で作られる高価な農作物の値段から、その対価を差し引いてください。それでも、中国産やアメリカ産の農作物よりも高いですか。すべての人は、等しく地域にある公園の恩恵を受ける権利があります。だから、そこに必要となる費用は、すべての人が税金という形で、等しく負担しています。何も、おかしなことはありません。しかし、毛細血管のように走るあぜ道を作る費用は、誰が負担しているのでしょうか。農家の人々です。非農家は、あんなに散歩に適した場所を等しく使わせていただいて、その費用はまったく払いません。

いつまでもあると思うな、日本の農業

「いつまでもあると思うな何とやら」というのは定番の句ですが、農業に対する対価を、僕たちが無視し続ければ、日本から農業が無くなってしまうのは、遠い未来ではありません。そして、無くなった時に後悔しても、農業を復活させることはできないのです。一度なくなってしまった電車の線路が、二度と作られることがないように。農家はボランティアで農業をしているわけではないのです。正当な対価を支払わなければ、生活を支える仕事として、農業が成り立たなくなります。僕たちはその恩恵やサービスを受けながら、払っていない対価がたくさんあります。林業を営む人に対して、森が作ってくれる酸素の代金を払っていません。漁業を営む人に対して、海を豊かに保ってくれていることの代金を払っていません。また、農林水産業の教育効果に対する代金も払っていません。フェアトレードというと、発展途上国の人々の労働に対して、正当な対価を支払うことを思い浮かべます。しかし、僕たちは日本の農業に対しても、フェアな対価を支払わなければいけないのはないでしょうか。

名案(?)農業テーマパーク構想

近い将来、日本の中から農業がまったく無くなると、農業テーマパークが作られるでしょう。そのテーマパークの中には田んぼや畑があります。係員の農民もいます。入場者は、1日5000円のフリーパス券を買って、田植えをしたり、稲刈りをしたり、芋ほりをしたり、あぜ道を散歩したりします。お土産には、取れたて無農薬野菜を買ったり、おたまじゃくしのぬいぐるみを買ったり、案山子がプリントされたTシャツを買ったりします。僕は農業テーマパークを冗談のつもりで書いていました。しかし、よく考えたら、冗談ではないですね。「農業体験ツアー」や「農村での自然体験プラン」などの名前で売り出される旅行パックは、農業テーマパークと同じ発想です。これが本当に豊かな社会の形なのでしょうか。

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